
いま気分がとても穏やかだなぁと感じられるこのごろ。
そんなときはいろんなものに目が向いて自然と心がひらく。
手紙を出そうと思ってた先輩に急に会えることになったり(あっきさん、ありがとう!)、
読んだばかりの良い本を私が会いに行った人もたまたま読んでいる最中でその話で盛り上がったり、小さな偶然がいくつも重なったここ数日。
ひとつひとつを思い返すと、一人こっそり思わずほほがゆるみます。
もちろんまったく波が立たないわけではなくて日々の中でも小さな波風はつねにやまない。
だけどそれを乗りこなす方法を、少しはまなべているのだと思う。
人に会う。伝えたいと思った気持ちは見逃さずに、なるべくすぐに相手に伝えるようにする。
テレビを見なくなった。早めの時間に布団に入る(こんなに贅沢なことはないと今さら気づく!)。
寒い日は、ちょっと手間をかけて紅茶を淹れてみる。
などなど、
ささいなことひとつひとつが、今の穏やかさを保ってくれているのだろう。
日々を生きていくのに大切なことって、ちょっとしたコツを見つけたり、
自分で工夫することなんだろうな。
いま、自分のなかに浮かんでるキーワードがいくつかあって、それぞれは一見して全くちがうもの。
だけどなぜか、そのひとつひとつは目に見えない糸みたいなものでつながっている。
急にそんな風に思えてきて仕方がない。これがまた根拠もなにもない。
だから困るかと言われればそうでもないのだけど。
いや、まだつながっていないのかもしれないという思いも同時にある。
だとしたら、それを本当に目に見える形でつないでいけるかどうかは私次第だ。
かれこれ5か月ほど、アメリカから帰ってきてからずっと悶々としていた。
だけどこれからは、重たかった腰を上げて、今まで悩んできたことや考えてきたこと、
ふつふつと湧いてくる思いを形にしていく時期なんだろう。手や足を動かして、もっともっと心をひらいて。
- 2009/11/05(木) 13:11:25|
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「生きていくことは気が遠くなるほど面倒くさい。
もし、カメラがなかったら、私はもっと要領よくこの世界を渡っていけるのかもしれない。
けれども、アンバランスな人生と引き換えに、私は写真と自由を手に入れて、生きている。」
大好きないつもの本屋さんで手に取った、谷川俊太郎さんの詩集、「生きる」。
上に書いたのは、詩集の写真を撮影した松本美枝子さんの言葉。
松本美枝子さんという写真家を私は昨日まで知らなかったけれど、
帯のうしろ側に書いてあった文に魅かれて、この本を買った。
ここに書いてある言葉は、まるで私のためにあるみたい。
勝手なのは百も承知ですが、疑いもなくそう思えるほどの言葉だと思いました。
「生きる」って、何かひとつの答えとイコールではなくて、
その時の自分が誰と居るかとか、どこにいるか、何をしているのかで、
その意味や目的は変わってくる。
「生きる」って何だろうってアタマ抱えて考えてみるのもひとつだけど、
生きることの意味とか要素って日々の中に散りばめられているのだろうとおもう。
考えすぎて、散りばめられたいろんなものやことを見逃さないよう、バランスよく(いけたらいいな)。
そう気づいてから、「生きる」という詩が前よりももっと実感を帯びてきて、
この詩の一つひとつの文をより深く味わえるようになった。
カンボジアで、「生きてる限り時間はあるんだよ、いろんなことができるんだよ」と言われた。
普段は意識しない、だけど(少なくとも)知っていること を、改めて言葉で伝えられるとはっとする。
そんなことを言ってくれる人がいることがありがたいなぁと思う。

- 2009/10/16(金) 21:34:58|
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人はどうやってその場所で生きていくことを決めるのだろう?
生きるのにピッタリな場所が、この世界のなかで人それぞれに在るのでは、と思う。
生まれた国や土地を越えたどこかに、その場所が。
ぼんやりと少し前から考えていたけど、むくむくと芽が出てきそう。
もっともっと考えをふくらませてみようと思う。
- 2009/10/09(金) 19:28:18|
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8月末カンボジアへ。
すでに帰国してから1週間の時間が流れました。
日本に再びアダプトするのはなぜこういつもエネルギーと時間が必要なんでしょうか。
そして、普段とは違う場所へ出かけると、感情(覚)の振れ幅が自然と大きくなってしまう。
今回も例にもれることなく、カンボジアでもらってきた、持って帰ってきたあれこれを整理整頓中。
2回目のカンボジアは、初めて行ったときとは違う物事を考えるきっかけをくれました。
とくに「お金」「幸せ」「生き方」、この3つのテーマが今もあたまの中をぐるぐるとめぐっています。
前後の説明を省いて今の心境を書くなら、
これから、本当の旅が始まるのかもしれないな、というところ。
・・・・・・
今週土曜日から、長崎で東松照明さんの写真展があるそうです。
その初日にはご本人のトークショーも。
長崎まで行こうか行くまいか、考えていた今日。
友達とご飯を食べに行ったなじみのインドカレー屋さんで、東松さんの写真集を見つけました。
見つけたというよりは、ちょうど私の席から見えるところに写真集が置いてあるのが目に入ってきました。
写真を(じっくりは見なかったけれど)見て、長崎まで行こうとあっさり自分の中で決まる。
単純な私は、こういうささいなきっかけがあるだけでも、呼ばれてるのかもと嬉しくなる。
おおげさかもしれないけど、おおげさだったか、おおげさではなかったかは、行ってみないとわからないよね。

- 2009/10/01(木) 00:50:43|
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空がグラデーションに染まった。もうすぐ秋。
日が落ちると、昼間の首にまとわりつくような暑さとはうって変わって、空気がひんやりとやさしい。
秋のはじまりはいつも言葉では表しがたい、せつない感じを運んでくる。(季節の変わり目はいつもそうだけど、秋はとくに)
喉元を過ぎて胸の真ん中らへんがきゅっ、となるあの感じ。
このごろそんな瞬間に出会うことが多い。
良い写真に出会ったとき。空が高くなったのに気がついたとき。ニューヨークを思い出すとき。
大好きな人たちに会ったとき。風が冷たくなってきたのを感じたとき。心に響く言葉に出会ったとき。
なんというか言葉にするとしたら、赤ちゃんみたいな小さな手で胸のおくのほうをきゅっ、と
強くも弱くもない力でつかまれるような感じをおぼえます。
きっとこの感覚が、私が何を好きかとか、何を必要としてるかとか
そういうものを判断するときのものさしなんだろうなと思うようになってきた。
悩んでいても辛くても何かをやり続けたひとは、その先に光を見つけることができるのだと、
このごろある写真家さんの話を聞きに行って思った。
悩んでいるだけではバランスがわるくなっていつか折れてしまう。
だから、つらい時こそ、何があっても前へと進み続けることが大切なんだと思った。
その速度は状況に合わせて変えながらでもいいから、自分のペースで。
話は飛んで、歌手の絢香が特集されている雑誌を今日買った。
別に絢香のファンではないし今まできちんと曲を聴いたこともそんなになかった。
けれど、本屋のガラス越しに並ぶいくつかの雑誌の中で、表紙の絢香に目がとまって離せなくなる。
ページをめくってみると、何ページにもわたって彼女のポートレートが。
じっと見ていると涙が出そうになってきた。
このとき、絢香はどんなことを思いながらカメラに向かっていたのだろう。
夢もかなえて、すでに家庭を築いていて、私と同じ年に生まれた彼女。
歌うこと、病気のこと、結婚のこと、女性としての生き方。
ロングインタビューにつづられた彼女の言葉一つひとつに、ぐっと気持ちが引っ張られた。
最近、ほんとのつよさって何だろうと思うけれど、
自分の弱さを打ち明けられる人、心の支えとなる人に出会えた人、守るものがある人、自分と向き合える人、
自分を信じ続けられる人はとても、つよい。きっと、つよさにもいろんな形があるんだろうと思う。
- 2009/08/24(月) 22:51:58|
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