
今年は空梅雨ですね。お米はちゃんと育つのかな・・・?
この季節は、田んぼのカエルが夜な夜な合唱していて、それを聞きながら眠るのがすき。
カンボジアを思い出すなぁ。
雨が降った後の匂いや、雨が降る音を聞くのもすき。
今日は夕方からキャンドルナイトへ行ってきます。
いろいろな分野で活躍してる方が集まるみたいです。それと久しぶりの人たちにも会えるみたい。
いまいろんなものが自分の中で滞っていて、
人に会って話すということに、
普段よりも倍のエネルギーが必要だって感じてる。
出てしまえばそうでもないんだろうけど、人に会う前、家を出る前のあの感じ。

それでも自分から求めてかないとなにもやってこないから。
それに、こういう場に声をかけてもらえるのは本当にありがたいです。
ピシッと背筋のばして行ってきます。
- 2009/06/21(日) 14:46:31|
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「コスタリカのポストカード、今日届いたよ!」と昨日の夜メールをもらう。
一人で暇だったとき、ご飯を食べたあと、寝る前、
ジュースを飲みながら涼んでいるとき、飛行機の中で、
たくさん書いたのに、私が日本に帰って来ても届いたような気配がない。
(誰も、届いたよ!とか言わなかったから)
出したのは、4月の真ん中、ちょうど2か月前。
ユースホステルの人に頼んだのだけど、
もしかしたら切手代だけとられて、私の書いたハガキたちは放置されたのかとすら思っていた。
よかった、ちゃんと届いてくれて。タイムラグのある便りもそれはそれで良いかな。
母は、「のんびりした国ねぇ」と言って笑った。
コスタリカでは、
早起きして朝日みて、ご飯を食べて、歩いて、友達をつくって、海辺で本を読んで、夕陽を見て、またご飯食べて、日記を書いて眠って。
そんなサイクルの生活を送っていました。とても気持ちがよかった。
バスの中からぼんやりと外を眺めていると、
家々や庭で遊ぶ子どもたち、洗濯物、学校、空、畑、いろんなものが目に飛び込んでくる。
私が知らなかった地球の裏側でも、人々が生活を営んでいるのを自分の目で見て、嬉しくなった。
言葉にするのも気が引けるほど当たり前のことなのかもしれないけど、
普段そんなことを考えない私は、それを知ることができて良かったと思った。

コスタリカの人々が日々使っている言葉、Pura Vida 純粋な人生。
自分の心はやっぱり無視できないや。東京に行こう。
- 2009/06/18(木) 10:56:10|
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写真を撮れば撮るほどもっともっと撮りたいとおもう。
私にしかできない何かがあるのだとしたら、それは写真がいいな。
他の事をうまくやれない私は、
写真だけでも撮れるようになりたい、とおもう。
写真にすがるような思いさえ感じてしまう。
私の勝手な思い違いかもしれないけど、いまはその思いを信じてたい。
今日、東京から帰ってきたばかりだけど、また来月行こうかと考えている。
大好きな写真家さんの写真展と、気になる2つの写真展が同じ時期にある。
正直、交通費はかさむけど、なんだか呼ばれている気がして。
- 2009/06/15(月) 19:42:26|
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15日の金曜日に留学先のニューヨーク・オネオンタから帰国。
長かったような短かったような9か月が終わり、また日本・福岡での生活が始まりました。
留学は一言では言い尽くせないほどたくさんのことがあり、
戸惑い、悩み、笑いながら泣きながら、たくさんの経験と出会いを通して学ばせていただきました。
これは一人では到底なしえなかったことで、
私をあたたかく送り出してくれて、そして応援してくれていた家族や友達、仲間たちのおかげです。
本当に感謝しています。
9か月前、確かにここ福岡で生活をしていた私ですが、
帰国して久し振りに街中を歩いて人を見ていて、どこか不思議な感覚でした。
自分もみんなと同じ日本人だけど日本人じゃないような
何でこの人たちはこういうことをしたり言ったりするのだろう、と客観視しているような感覚。
少し慣れてはしまったものの、その感覚はいまも残り続けています。
いまの心境を言えば、留学は私の中ではもうすでに「過去のもの」になりつつある。
私はこれはこれでいい傾向なんじゃないかととらえていて、
なぜならキラキラしていた過去に浸っているよりも、今は、少しずつでもいいから前へ、
そんな気持ちがあるから。
9か月という期間は、迷う時間も与えてくれたのと同時に、
それをその時々で整理する時間も与えてくれた。
私は物事を整理して消化するのに時間がかかるから留学後のことが少し心配だったけれど(現にカンボジアに行った後がそうだった)、
オネオンタで過ごしてきた時間を使ってそこをカバーできていたみたい。
そのおかげで、自分が何をしたいのか、そのためにはどうすればいいのかが
前よりは見えるようになってきた。
帰国前、決めたこと。
私は写真家になりたい。
好きなもの、やりたいことを見つけたなら、
全力でそこにぶつかってみたい。
もっと自分に素直に心の声に耳を傾けてもいいんじゃないか。
そう思うようになった。
その分、責任を負うのもすべて自分。
そうやって人は大人になっていくのかなとも思う。
今はきっと次のステップを踏む段階に来ている。
そう感じる。
大きくジャンプできるかどうかは、これからの自分次第。
もうあれこれ考えて足踏みしすぎたから、これからしばらくは動いていくしかない。
不安はあるけど目の前にある一つ一つのことに、丁寧に向き合っていこうと思う。
- 2009/05/27(水) 15:59:24|
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いわゆる「世間」っていったいなんだろうか。
世間の目、世間体、世間様。
・・・「様」だって。
ますます何なのか気になってくる。
そういえば、
高校生のときに読んだ現代文で、
養老孟司さんの、「世間」についての文章が題材になっていた。
内容をきれいに忘れてしまっている。
授業のために「読まされた」感もいま一緒に思い出した。
でも、「世間」って日本独特のものだった気がする。
本、今度はちゃんと読んでみよう。
- 2009/05/04(月) 12:29:29|
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今日、学校で行われるTerpsというダンスショーを観てきた。
ステージに上がったのはみんな生徒たち。
ヒップホップやスウィング、アフリカン、タップダンス、モダンダンスと幅広いダンスを見ることができた。
「空間」というものを創りだせるパフォーマンスは素晴らしい。
観る者たちが惹かれるのは、ダンスの完成度やステージ上の演出、衣裳の華やかさだけではなくて、
踊る者たち一人ひとりから発せられるエネルギーなのだろう。
一つになったココロとカラダから発せられたエネルギーがダンスという形で表現され、
観る者たちを包み込み、ひとつの空間を創り上げる。
そのエネルギーとは、積み重ねられてきた練習の日々に生まれた喜びや悔しさ、
一人ひとりが秘めた踊ることへの思い、支えてくれる人々への感謝、本番に懸ける姿勢なのだと思った。
足で刻まれるリズム、手拍子、しなやかなカラダの動き、表情、天へと伸びた指先
すべてからそのエネルギーが伝わってくるような気がした。
- 2009/05/03(日) 07:31:33|
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言葉にできない。自分の気持ちを言葉で表現することができない。
心のうちにはこんなにも確かなものが存在しているのに、それが「言葉」という形では外に出てこない。
昨日は久しぶりにそんな思いをした。
自分の思いを言葉にできないというのは、こんなにももどかしいものかと思った。
もどかしすぎて泣きそうにさえなる。
私が気持ちを言葉にできないとき不安になるのは、
自分の考えていることや感じたことがホンモノではないのかもしれないと思ってしまうから。
言葉にできないと、自分がわかっているはずのその気持ちさえ疑い始めてしまう。
言葉にできないのは、
相手に誤解されたくない、自分が傷つきたくない、
相手を傷つけたくないとあまりにも臆病になっているからだろう。
私は誰かとのコミュニケーションに対して慎重になりすぎている部分がある。
だけど、自分から伝える言葉にはできる限り正直でありたいとも思う。
言葉に助けられることも、言葉に頼らざるを得ないこともあるけれど、
もっと豊かな表現方法を持っていられる人になりたい

- 2009/04/23(木) 00:15:51|
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ときところにより雷雨、な日もいつかは来るかもしれないけど、
いまは晴れてる。気持ちがいい。
ここから、これから。

オネオンタにもやっと春がきました。
- 2009/04/18(土) 08:06:47|
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ああ、もう。カンボジアに行きたい。
コスタリカに着いたときだって、マイアミでトランジットしたときだって、
あのむっとした感じの湿気を含んだ空気と、焼けるような日差しで真っ先に思い出したのは、
一年前に行ったカンボジア。
コスタリカに行ったら、余計にカンボジアが恋しくなった。
Phare Ponleu Selpakのみんなと出会った夏からもうすぐで2年が経とうとしている。
それでも、2年前の夏みんなと出会ったことは今でも私の心の中で鮮烈な光を放っていて、
いつだって私の心をゆさぶり、ずっとずっと色あせない。
ついさっき、彼らのサーカスの映像を見ていた。
そして気がついた。
私は心のどこかで、「厳しい環境におかれても頑張っている子どもたち」
というフィルターを通して彼らを見ていたんじゃないか?
なにかが違う。
それはまったく本質じゃない。なんか、自分が恥ずかしい。
アートを通じて、心を豊かにすること。
多様な表現の方法を知ることで、習得することで、柔軟性が養われること。
「多様さ」に触れることで、新しいものの見方をできるようになったり、
自分以外の違う誰かを受け容れられるようになったり、
自己について考えたりするようになる、ということ。
たとえば、「喜び」を表現するのにも、
大きく手足を伸ばして宙に舞ったり、黄色や赤の明るい色を使って絵を描いたり、
高く澄んだメロディに乗せて歌を歌ったり、たくさんの方法があると思う。
「この子はこういう風に見てるんだ」とか、
「こういうやり方もあるんだ」っていうのを知れば知るほど、ものの見方が広がってくるし、
そこから、「じゃあ自分はどうやって生きたいんだ?」っていう疑問が浮かび上がってくる。

私は写真を撮る。
写真を撮ることで、人や物事この世のものすべては移り変わっていくのだということを実感する。
同じ瞬間なんてもう2度とは存在しないことを思い知らされる。
おなじ風景を隣で並んで見ていても、写真を撮る人によって、
おなじ風景の中にちがうものを見ていることがある。
そんな風に、
たったひとつの地球の中にも自分が知っているよりもたくさんの世界があることを知ることができる。
もっともっと写真を撮り続けて、
いつか私が感じたことをカンボジアで子どもたちに伝えられるようになりたい。
もちろん、カメラのレンズを彼ら自身の瞳でのぞいてもらって。
Phare Ponleu Selpak(ファー・ポンルー・セルパク)は、クメール語で「芸術の光」という意味。
私にもその光の端っこが見えてきた。
きっとすぐ、PPSのみんなに会いに行こう。たのしみ。
- 2009/04/16(木) 13:32:03|
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with.... Costa Rica!!!!!
4月3日から13日まで、オネオンタで最後のブレイクでした。
最後のブレイク、行き先は中米の国コスタリカーー!
NYとはまったく正反対の、真夏の太陽が最高でした。
腕が真っ赤に焼けました。
友達もできました。
写真もたくさん撮りました。すこしずつ載せていこうとおもいます。

いつか海のそばに住んでみたいな。
- 2009/04/15(水) 11:31:19|
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